shousetu saikai
小 説 「 S A I K A I 」


34話 出し巻きタマゴの極意
 
 昭和58年4月 東京に修行に来てから8ヶ月がたった。

先輩の長谷川さんは退職してしまい、2DKの寮は、自分ひとりで生活している。

東京都港区の窓から東京タワーが見えるマンションにひとりぐらしとはとてもリッチな気分である。

今日は日曜日、いつものように新宿にふらっと出かけ、夕方になると、お店に行く。

大手町店は、土曜日は、午後2時で閉店し日曜日は休みなのである。

今まで働いていたお店では考えられない勤務である。

東京駅北口から、お店のある新大手町ビルまで、歩いていったが、ほとんど人通りもなく、さびしいぐらいである。

静まり返ったビジネス街を歩き、お店にはいる。

誰もいないお店の厨房にはいり、明日のセンマツ(舎利)の準備をする。

2升づつお米を自動米とぎ機に入れ、12升分のセンマツを用意した後、倉庫から100個の卵を出してくる。

出し巻き玉子10本分の準備である。

札幌の「出島」にいたころは、一日1本ぐらいの出し巻き玉子を焼いていたが、うまくいったり失敗したりの状態だった。

今では、まず失敗することはなく、どれだけキレイに焼けるかに挑戦している。

カツオダシ1升、砂糖500グラム、味醂、酒、塩、卵100個を混ぜ合わせる。

銅製の出し巻き玉子用の四角いフライパンに油をたっぷりいれて油から煙が少し出るぐらいまでフライパンに火をいれる。

火を止めたら、油を別の器にあけて、新品のカット綿できれいに油をふきとる。

フライパンの温度が下がったら、目いっぱいガスコックを開き、超強火で玉子焼きを焼いていくのである。

今までの自分の玉子焼きは、中火で焼いていた。そうすると失敗しずらいのだが、24時間ぐらいたつと、切り口が黒くなってしまう。

この黒いのは油。中火でやんわり焼くよりも、強火で焼いたほうが、24時間たったときも切り口がきれいなのである。

強火のみで焼くのはけっこうなテクニックが必要である。

この技は先輩の河原崎さんの玉子焼きから技を盗んだのである。

実は、最初のころはけっこう失敗していた。

しかし、日曜日に誰もいないため、何回でも挑戦できるのだ。

強火のため、手早くひっくりかえさなければいけない。ひっくり返すとき、玉子焼きを落っことしたこともシバシバあった。

もし、先輩の板前さんがいる前で失敗したら、二度と自分に任せてくれない。

日曜日の夕方の玉子焼きの時間は絶好の訓練日よりだった。               

「甚八」の玉子焼きは、焼きあがったあとに、焼印を押す。

「甚八」と彫られた、鉄の印鑑をガスで真っ赤になるまで焼き、16等分に切った出し巻き玉子の表面に焼印を押していくのだ。

その焼印がキレイに出るかどうかも、テクニックが必要だった。

通常のように玉子焼きをつくると、仕上がった表面がザラザラになってしまい、焼印がキレイに出ない。

表面をツルツルに仕上げるにも、河原崎先輩の技を盗んだ。

ほとんどの玉子焼きは自分が焼いていたのだが、急遽足りなくなったときなどは、河原崎先輩が焼く。

自分は洗い物をしながら、横目で技を盗む。

日曜日になると、実験する。

これも、何回失敗したことか。                           

最後の仕上げ前にフライパンの温度を下げ、強火の火をいったん切ってしまう。

しばらく、蒸したような状態にしてから、弱火にして、ひっくり返すのである。

それがまたうまくいかないのである。

よほど、フライパンの状態が良くないとうまくいかない。

実は、下準備のフライパンへの火入れがポイントなのだ。

下準備に失敗すると、全てうまくいかないのである。

玉子がフライパンにネッパッテしまい、うまくひっくり返らないし、一度そのような状態になると何回やってもうまくいかないので、そういうときは、途中で止めて、フライパンの下準備を念入りにやるのである。

誰もいない日曜日だからこそ、時間もタマゴも豊富なのである。

今日は、10本ともうまく焼きあがったが、100%納得出来た玉子焼きはその中で1本ぐらいなのである。

陶芸家なら、納得できない作品を壊してしまうところだが、そこまで経費の無駄遣いをするわけにはいかない。



明日は、新卒の見習いさんが北海道からやってくる。

明日からは、新人に出前、洗い物、舎利切りと、タマゴ焼きを教える役回りになるのである。

同時に、2DKのマンションもあすから二人で暮らすことになるのである。

                                               


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