2006/08/26 郡山市磐梯熱海多目的グランドにて
真っ赤のユニホームは富田エンゼルスの皆さん
ストレッチを教える村田兆治さん(56)
らくらく胸が地面についてしまう村田さんに子供たちもビックリ
■村田兆治さんのプロフィール■ 1949年広島県生まれ。 1968年、福山電波工業高校(現・近代福山高)を卒業と同時に ドラフト1位で東京オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)に入団。 甲子園出場は果たせなかったが、高校時代に球速は既に150キロを超えていた。 入団3年目に5勝をあげ、4年目の71年にマサカリ投法をあみ出し、12勝をあげエースとして活躍し始めた。 1974年には12勝でリーグ制覇と、日本一に大きく貢献した。 1975年には、以後伝家の宝刀となるフォークボールをマスターし、21勝をマーク。 1981年には、19勝で最多勝タイトルを獲得。 しかし、1982年に右ヒジを故障し、再起不能とまで言われた。 渡米し、ジョーブ博士による移植手術を決断。 2年間のブランクを経て、1984年8月に奇跡の復活を遂げた。 1985年には開幕11連勝を記録し、その年は17勝をあげた。 中6日のローテーションで毎週日曜日に登板するため「サンデー兆治」の異名をとった。 90年、史上2番目となる40歳代2ケタ勝利をあげ、その試合を最後に引退した。 1995年〜1997年、福岡ダイエーホークスの投手コーチ。 2001年からマスターリーグ・東京ドリームスに所属。 2005年野球殿堂入り。 通算成績(実働22年) 215勝177敗33セーブ。 防御率 3.242 363奪三振(歴代8位) 最優秀防御率3回(1975、1976、1989年) 最多勝1回(1981年) 最多セーブ1回(1975年) 最多奪三振4回(1976、1977、1979、1981年) |