shousetu saikai
小 説 「 S A I K A I 」

38話

「袖すりあうのも多少の縁」 その縁を大切にしていきたい。
出逢った人全ての人に縁したい。

北島三郎氏のサイン色紙には「出会いこそ我が人生」と書いてある。俺の好きな言葉である。

「あいつは嫌いだ」「俺には合わないヤツ」「俺を傷つけたヤツ」
友人リストから排除することは簡単。もう二度と会いたくないと思うことも簡単。
でも俺はしない。したくない。

やむなく、親父の都合で、たくさんの友達を失った。連絡もしてはいけない身の上。
故郷を離れはしたが、捨てたわけではない。

自分で決めた事。

たった15秒で決断したことを今さら後悔もしたくはない。

生きてさえいれば、また新しい人と出逢える。

涙を流すほど悔しいこと、寂しいことがたくさんあるかもしれないけれど、
新しい人と出逢うことはうれしい。
故郷をはなれた時、友人を失った??

俺はそう考えない。

新しいところにいけば、また新しい人に出逢える。

「プラス発想」「逆境こそ天が自分に与えた最大のチャンス」
こんな言葉が今、自分を支えている。

故郷を離れて、新天地の北海道にやってきてから、もう5年になろうとしている。
5年間たくさんのひとに出逢えた。

「千留屋」「二番星」「出島」「甚八」「鴨円」飲食店を転々と移った中途半端は俺だが、後悔はない。
職人として、たくさんの店を経験することは大切と思い転々としたわけだが、
実は、たくさんの出会いを求めて移ったのか?と自問自答する。
5年逃げ切れば、借金はチャラになると親父は言っていた。
その5年になろうとしているとき、あと1年は猶予をみたほうが良いとのことを聞き、

「あぁ、あと1年かぁ。」

住民票なんて、あってもなくても生活には支障をきたさないと思うのだが、
「後ろめたい気持ち」「犯罪者の気持ち」が占領している。
「親父がつくった借金だ。俺には関係ない。いっそ故郷に帰ろうか?」
「帰ったら、借金取りからネホリハホリ親父の居所を聞きたい連中から付け狙われるかも?」
などと葛藤をしてきた自分自身。

「5年間の辛抱だ。」「プラス発想だ!」「逆境こそチャンスなんだと!」
松下幸之助の著書を貪り読み、自分を励まし、勇気付け
「自分で決めたことは、絶対に後悔しないんだ!」
と己に言い聞かせ、すごした5年間。

あまり深く考えたくない気持ちから、がむしゃらに仕事に没頭してきた17歳から23歳。
だから、落ち着いてくると店を移ってきたのかなぁ・・・・・と考えたりしている。

そう、こんなことを考えること事態、また安定期にはいってしまったのだ。

実は、「鴨円」が開店してわずか3ヶ月で店を辞め、「寿司友」も3ヶ月、
その後はフリーターとなり午前9時から午後5時までは「ケンタッキー」
午後6時から1時までは「パーラーよんぱち」で働いていた。
今は、午前10時から午後4時までは「鴨円」午後6時からは「パーラーよんぱち」に通う毎日とした。
開店したときとは違い「鴨円」もすっかり落ち着き、普通の喫茶店になった。
忙しいのはランチぐらいで、ランチタイムが終わると、お客さんがいなくなる時もたびたびある。
暇になると、店は俺にまかせママは買い物やら、用事たしで出かける事が多い。

昭和59年11月 鈴木修人 23歳。

ランチタイムぎりぎり来たランチのお客さんが帰ったので、テーブルを片付け、外をみると、
チラチラと降り始めた雪が、玄関前の直径1.5メートルの大きな球に当り消えてなくなっていた。


その隙間から、真っ赤なマーチコレットが視界に入り、
ジーンズのオーバーオール、チェックのシャツ、アラレちゃん風のめがねをかけた
ちっちゃな女の子が出てきた。



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