shousetu saikai
小 説 「 S A I K A I 」


37話


昭和58年7月2日

昨日の夕方は少し肌寒く、とても半そでで外は歩けない。
札幌の7月は、東京の春先の陽気で、どちらかというと、ポカポカとあたたかい春のようだ。
住宅街の午前9時というのは、とても静かでさわやかである。


ジーパンTシャツ姿で髪の長いノッポの青年が入ってきた。
お客様第1号である。

その青年は、予想を裏切らず、一番はじから2番目の一番高い「止まり木カウンター」にすわった。

コーヒーの注文を受けると、
俺はショットグラスに炭酸を注いで出す。

その青年は不思議そうな顔をして、ママの顔をみる。
ママは、得意げにその炭酸の意味を話し出す。
この炭酸は、コーヒーのおいしさを引き出すらしい。

そして、丁寧にネルを洗い、固く絞り、ひいたばかりのコーヒーをネルにいれる。
ミネラルイオン水を小さなケットルにいれ、お湯を沸かす。
お湯が沸いたら少し待つ。そしてコーヒーを蒸らす程度に少しだけ丁寧にお湯を注ぐ。
コーヒーの粉がプク〜とふくらんだ。大成功だ。

最大に膨らんだ時をみはからい、第2投目のお湯をあふれる寸前まで目いっぱいに注ぎこむ。
2投目のお湯がなくなる寸前に第3投目のお湯を注ぐのである。
第2投目のわずか内側をゆっくり円を描くように3投目のお湯を注ぎ、フィニッシュのお湯を注ぐ。

コーヒーのいい香りがしてきた。

赤井川の釜で焼かれた陶器のカップにコーヒーを注ぐ。
止まり木カウンターに座った青年は、満足そうな笑みをうかべ、おいしそうにコーヒーを楽しんでいる。
俺は、青年とママの顔をチラリみながら、ネルを洗った。

胸のうちはハラハラドキドキだった。
実のところ、2日前にUUCのコーヒーのプロから、コーヒーのイロハを教えてもらい、
2日間びっちりと練習をしたのである。
そして、寝る前は専門書を読み、にわかソフトバーテンとなったのである。

しかし、ママは凄い。
どこから見ても、何年もこの仕事をやっているような雰囲気だし、堂々としている。
流石だ。

ママは、楽しそうにお客様と会話をしながら、なにげなく先ほどその青年に落としたコーヒーの
あまった分をしっかり味見をしている様子。流石・・・・・。

そんな、ゆったりとしたさわやかな初夏だった。


そのうちどんどんお客様がやってきて、
マスターやママは開店祝いをもってきてくれたお客様の対応に追われはじめ、
ススキノ時代のお客様やら、友人やら、近所の人やら・・・・・・・

開店記念の本日10円コーヒーをききつけてきたお客さんやら、
いろんな人がごったがえし、ランチタイムに突入。

助っ人に来てくれたUUCのプロフェッショナルがどんどんコーヒーをおとしてくれている。

俺は、厨房に入って、ランチづくり。
厨房では、どこに何が収納してあるかまったく分からない。
頭で分かっていても、身体が反応しないのである。

厨房というのは、マスターの自宅のキッチンになっており、
一番分かっているのは、ママなのであるが、ママはお客様の対応でとても声をかけられる状況ではない。
厨房の洗物はママの友人やママの母上が手伝ってくれているのだが、
そのばあちゃんに聞きながら、冷蔵庫の中やら、キッチンの中やら捜しまりながらの料理である。

お客様が帰られると、コーヒーカップやら、ランチの器がどんどん、自宅のキッチンに運ばれてくる。
一般の住宅のキッチンにしては大きなキッチンではあるが、今日のお客様の数は半端じゃない。


ビデオの早送りのような一日が終わり、気が付いたら次の日の朝になっていた。

もうすぐ21歳になる俺は、初めて「開店みせ」の大変さを経験したのである。



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