shousetu saikai
小 説 「 S A I K A I 」
33話 修行開始
                                              
 昭和57年8月3日 5時30分都営6号で大手町に長谷川さんと向かった。
さすがに電車はガラアキだった。

お店に着くと、昨日から準備してある舎利を炊く。
1回に炊く舎利は4升炊きのガス釜に2升5合の米を入れる。

ガス釜は全部で4台ある。
今日は、朝一番で、15升の舎利を用意しなくてはいけないので、4台の炊飯器を5分おきに次々とスイッチを入れていく。
ものすごい量である。

出島では、出社するとまず2升炊く。一日で6升ぐらいだった。
甚八ではランチタイムの分だけで、15升分の舎利を炊く。

約20分で米が炊けたあと20分の蒸らし。
20分蒸らした後、600ccの合わせ酢とあわせで舎利を完成させる。

5分おきにスイッチを入れているので、所要時間は5分しかない。
手際よく、舎利合わせをして、つぎつぎと作業をしていかねければいけない。
ウチワであおぐのではなく、扇風機で舎利に風をおくる。

出来上がった舎利を保温釜に入れ、飯台を洗い、すぐに2本目の舎利合わせ、一気に10升の舎利を完成させる。

その後、あと2本の舎利を炊く。
こうして、15升分の舎利を完成させるのである。
ものすごい量の舎利におどろいた。

出島に勤めていたときとはスケールが違う。
毎日この量の舎利を扱えば、だまって舎利切の腕はあがるはずだ。
最後の1本の舎利切をやらせてもらった。

先輩の長谷川さんからいろいろ教えてもらった。
年齢は若くても、毎日この作業をしている長谷川さんは手際もよかった。
コツをいろいろ教えてもらった。

長谷川さんも早く自分に教えて、舎利番を交代したいらしい。一石二鳥だ。
自分ひとりで舎利番をやれば、かなりの経験になる。


ちょうど舎利が完成したころ、8時ごろになると、板前さん達が出社してきて、段取りをはじめる。
次は長谷川さんとふたりで、皆の朝飯の準備にとりかかる。

一日3食のまかない飯のメニューづくりとまかないつくりは長谷川さんと自分の仕事になる。
これがけっこう楽しいし、勉強になる。

寿司屋だからといって毎日刺身を食べているわけではない。

一ヶ月の予算があって、その予算内でやりくりをするのだという。
しかも、そのお金をうかせて、皆で飲みに行く軍資金にすると長谷川さんは言った。


9時から、皆で食事を取る。
9時30分になると、魚屋からネタが届いた。
とてつもない量の食材だ。
10人の板前さんと、長谷川さんと俺で一気に仕込みをする。

初めて見た青柳貝の仕込みを手伝った。
赤貝の量もすごい。こんなに使うのかとびっくりだった。
北海道にいたときはたまにしか赤貝は扱っていなかった。

これだけの量の仕込みを毎日やったら、腕も上がるはずだ。
うれしくって仕方がなかった。

お店は11時から開店。

すぐにお客さんは入ってこないが、板前さんたちは、出前の寿司を大量につくりはじめている。

ビジネス街の会社への出前だ。
三井物産本社、富士銀行本店、AIU本社、お向かいのJTBからの出前の予約。
だいたい11時30分ごろまでに配達しなくてはいけない。

この出来上がった寿司を出前するのは長谷川さんと自分。
自転車で運ぶのである。

一流会社への出前ははずかしかった。
綺麗なお姉さんたちがいる受付に行き、会議室の給湯室へと出前した寿司を運ぶ。

自分より少し年上だと思うが、制服姿で化粧バッチリのOLのお姉さんと白衣姿で長靴の自分とのギャップがあまりにもありすぎて、なんか気恥ずかしかった。

何箇所か出前が終わり帰ってくると、次の出前。
戻ってくると、お店は満席状態で洗い物がたくさんたまっている。
なんせビジネス街のランチタイムはすざましかった。

1時30ごろになると、ちょっと店がすき始める。
この時間から、僕達はまかない飯の準備をはじめる。
2時になるといったん店をしめる。

その後、全員で食事。
食事が終わったら、5時まで休憩となる。

板前さんはそれぞれお店で昼寝をしたり、ビル内の喫茶店でお茶をのんだりしている。
その間、長谷川さんと自分は、出前にいったところへ器を取りに自転車で向かう。
それが終わると、休憩タイム。

若い先輩の板前さんと喫茶店に連れて行ってもらい、自己紹介など雑談をした。  
                                         



「すごい包丁だね。」と河原崎さんは言った。

河原崎さんは高校卒業後、甚八に入社し3年。
俺と同じ21歳。

つい最近までは、出前やら裏方の仕事をやっていて、最近やっと、カウンターに入れるようになったとのこと。
現在は出前の巻物を巻き始めた。

包丁をみれば、大体分かるもんだ。
ただ切れるかどうかではなく、研ぎ方をみれば、経験や腕の良し悪しまでわかってしまう。
忙しいさなか、河原崎さんは、しっかり自分の包丁を観察していたようだ。

持ってきた包丁は3本。
4年前に初めて買ったヤナギバ包丁、薄刃包丁、小出刃は、研いで研いで、細く小さくなっていた。
使いこなされた自分の包丁は一番の宝ものだ。

その包丁を先輩にほめられたことは嬉しかった。
今まで小さなお店ばかり3軒渡り歩いてきたので、一人でなんでもやらなくてはいけなかった。

洗い物、出前、仕込み、カウンターにもはいり、お客様にも寿司を握ったり、刺身を引いたりしてきた。
この「甚八」では、カウンターにはいるだけでも3年かかるらしい。

カウンターにはいっても、板前さんの補助ぐらいで、カウンターのお客様に寿司を握って出すなんて5年はかかる。
仕込みに関しても、河原崎さんはまだ満足に魚が下ろせない。
最近やっと魚をさわらせてもらったとのこと。

同じ年齢で先輩の河原崎さんとは馬があいそうだ。

河原崎さんとうまく付き合うには、先輩として立てる。謙虚な姿勢であること。
決して自慢話めいたことは言ってはいけないと思った。
もしライバル視されたら、大変なことになってしまう。

この世界では、先輩からかわいがられなくてはいけない。
もともと童顔だった俺はどうみても、この店では最年少に見えること救いだった。
いつの時代でも生意気な後輩は先輩からいじめられ、ろくな仕事もさせてもらえないし、イジメだってある。
いいことは無い。

先輩からかわいがられるように心がけしていくことが仕事をたくさんまかせてもらえると考えた。
自分は、東京に長くいる気持ちはない。
1年間の期限をつけて、短時間で多くの仕事を覚えることを目的としてやってきたからである。
河原崎さんと張り合ってカウンターにはいるなどという大それたことは思っていない。

お茶をのみ終わると、お店に帰り、午前中に仕込みをした舎利の炊き方、青柳貝と赤貝の仕込みの仕方をノートにまとめた。

魚の本もお店においてあったので、青柳貝について調べた。

青柳貝(ばか貝)
 千葉県の産地名。バカガイ科。
 貝の口から舌のような赤い脚をだすので、バカの様相に似ている。

@ザルにきり、水でよく洗う

A中に入っているワタをとりだす

B鍋の中にたて塩をつくり、貝を入れ水からゆでる。身がかたくなってきたらザルにきり冷水で冷やす。

Cまな板にとがった方を下にして、ヒモの掃除をする。

D貝を開く

E包丁の背でハラワタをとりのぞく

Fひもがとれないように汚い部分もとりのぞく

G乾いたサラシでキレイに掃除して、並べる。出来上がり。

メモが終わると厨房で笹を切っていた職人さんがいたので見学した。
バランをつくっている。

今まで働いた店では、ナイロン製のバランだったが、ここでは手作りで笹を切っている。
八百屋で購入したものだ。

ものめずらしい顔をしてじっと観察していると、「やってみるかい?」と言われた。
ラッキーだった。さっそくバラン切に挑戦した。

笹をギザギザに切っていくだけだが、なかなかうまくできない。
30分ぐらいやらせてもらった。
その後いろいろと教えてもらった。

この板前さんは、戸塚さん。最近甚八にきたとのこと。
26歳で大の祭り好きで、祭りの時期にはいろんなところで神輿をかつぐ江戸っ子。

自分の趣味はカメラなので、今度祭りに連れて行ってもらう約束をした。
休日の楽しみもできた。

とにかく、見るもの聞くもの全てが新鮮だった。
仕事が楽しかった。
明日からの休憩時間も楽しみだ。

たくさん覚えて早く一人前の板前になるぞ!と心に誓った。

                                         


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