2007/06/20 ふるさと
一番懐かしい景色 下のほうから親父の車がくるのを何時間も庭で待っていた 子供のころから比べると、住宅の配置はほとんど同じだが、新築されていたり建替えされている 田んぼは多少稼動していないところがあるが、ほとんど子供のころとかわらない |
隣の家 昔は牛5頭ほどいた。そういえばよくほえる犬がいた。 犬好きの私だが、隣の犬にかまれたことがあり、ちょっと苦手 |
この上に行くとツクネの畑がある |
右側の木にはクワガタ虫がいた |
ツクネ このへんもあんまり変わっていない。畑仕事をしている人がいた |
ツクネの畑 今は、なにもつくられていない。大きな柿の木(渋柿)があった。 |
ここもツクネの道 |
ツクネの道から向かえの家をみたところ |
ツクネの上から豆腐屋(今はやっていない)方面を見た景色 右上に分校があった。今は廃校になり地域の建物が建っている |
橋のほうから撮影 家が建替えられかなり雰囲気は変わった |
灯明たて 左側には道がなかった |
川の近くから撮影 なんとログハウスが建っている 田んぼはほとんど変わっていない |
棚田のオーナーの看板がたっていた |
子供のころから空き家だった いまでも空き家の様子 この家を直してすんだらけっこういいかも?? |
お宮に行く途中の道から撮影 |
真ん中の建物は公民館??昔はここが保育所で小学校に入る前は 皆ここにかよっていた。 |
お宮の下のほう |
お宮の階段 正月には家族でこの階段を登って初詣 |
もうすぐ階段の最上階のところから鳥居を撮影 |
お宮に到着 よく厄年の人が厄払いのためここで餅投げをやっていた。 |
舞台?? 真ん中の開いている部分は、石階段への入り口 階段を登ってくるとこの舞台の下を通り抜けてお宮の広場につく |
大きな木 昔ここに雷が落ちたらしい |
雷が落ちた形跡なのか、木の中が焦げていた |
バスが登ってきた 昔は朝7:30のバスが久田見から降りてくる。 小学校1年〜4年までは北山分校。 5年生になると八百津の本校にバスで通う。 中学生になると、歩いて中学校に通う人と、バスで通う人に別れる。 バスで通うやつは軟弱者の烙印をおされてしまうため、歩いて中学校までかよった。 歩いて1時間半かかった。約8キロ。 この1時間半の通学時間にたくさんのドラマがあった。 ココには書けないような 悪さばかりしていた。(今の中学生からくらべたら、たいしたことはないが・・) バスの話にもどるが 次は09:30ごろ八百津からあがってくる。このバスに朝刊が乗ってくる。 バス停に朝刊が下ろされる。小学生が新聞配達するため、夕方まで朝刊は保存される。 小学生が配るために朝刊は夕方に自宅にとどいてた。 分校が廃校になると、全員が本校に通うようになり、新聞は別口で運ばれてきた。 やっと、朝刊が朝にとどくようになる。 夕方の最終は八百津から17:30に出発する。 部活をして、遅くなってしまうと、バスに乗り遅れ、歩いて帰ることになる。 かなりの坂道なのでけっこうつらい。 近所の人に車に乗せてもらったこともしょっちゅうあった。 知らない人の車にも乗った。 (乗ってから、君はどこの子って聞かれたもんだ。小さな町なので親の名前を言うとたいがい分かったようだ) 誰ものせてくれないときもあった。近道の山道を行く作戦もあったが、 ひょっとしたら誰か乗せてくれるかもしれないという淡い期待をしながら歩いていった。 疲れているとき、乗せてくれない車に向かって 「はくじょうもの〜〜!!」と大声で叫んだこともあった。 とんでもない中学生だ。 高校生になると、私は僻地通学とのことでバイクの通学許可をとった。 家から、八百津駅(今はない)までバイクで20分。その後、名鉄電車で広見まで約30分。 広見から歩いて20分。計1時間10分。電車の待ち時間もあるので1時間30分ぐらいかけて 高校に通った。通学は楽しかった。 |
母の手作りの料理 ミョウガの葉にくるんだ寿司は格別だった。 |
ミョウガの葉を開けると寿司の上に貝の佃煮、甘く煮た乾燥しいたけ、紅しょうががのっている。 子供の頃のごちそうだ。貝の佃煮には砂がまざっていて、口の中でザリッと音がした。 これもむかしのままだった。これ以外にも、シメサバがはいったものもある。 子供の頃は嫌いだったが、大人になるとこれがものすごくおいしい。 母に感謝!ありがとうございました。ごちそうさまでした。 おみやげに朴歯(ほおば)餅をもたされた。 前日からあんこを煮てつくったらしい。 本当に。感激だった。 |